頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める - 苫米地英人

「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」の解説と要約&内容の説明と感想レビュー

「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」は2012年に初版発行された本で、 amazonの評価レビューでも、まずまずの高評価を得ています。※ただし万人ウケする本ではないです。

本書では、「頭の中にゴミを掃除して、本当の集中力を得て、短時間で生産性を上げていく」 という内容について解説しています。

「頭の中がごちゃごちゃしてしまって、整理がつかない」「集中したいのにすぐに他のことを考えてしまって、なかなか進まない」 コーヒーを飲んだり、たばこを吸ったり、気合いを入れないと集中できないという「緊張した集中」は本来の集中力ではないというのが著者の主張です。

本当の集中は「リラックスした集中」であり、リラックス型の集中力を得るためにはどのようにすればいいかを説明していきます。

まずこの本を読み終わっての結論から述べさせてもらうと、非常に難解な内容の本となっています(私個人の感想です)。 読書初心者の方や、中学~高校生ぐらいの年齢では、本書に書かれている内容を理解するのに苦労すると思います。

内容も難しいですし、専門的な用語もたくさん登場します(その辺りは私の方でなるべく簡単な言葉に置き換えています)。 読書に自信がない方は別のページへ移動する事をオススメ致します。

しかしながら、この本で初めて聞くような対処法が書かれていた事は事実ですし、 「そういうモノの見方・考え方もあるのか」といった気付きが得られたり、人によっては自分の世界が広がるかも知れません。

生産性を下げる「感情のゴミ」を捨てる

著者の知人で、仕事の集中力が下がったり、眠くなったり、考えがまとまらない時、腹が立った時など、気持ちにブレが生じた時に歯を磨くそう。 すると頭がスッキリして、仕事を再開できるらしい。

大体1時間に1回のペースで、多い時は1日に10回ぐらい勤務時間中に歯磨きをする。 その方にとって歯磨きは仕事モードのスイッチを入れ直す「儀式」のようなものと言えるでしょう。

「それいいなぁ。俺も気分転換に会社で歯磨きしてみよっかな」と思いましたか?・・それはいけません。 何故なら、歯磨きで一時的に頭がスッキリしても結局は1~2時間ほどで効果がなくなるからです。

気持ちがブレる → 歯を磨くの無限ループです。頭のゴミを掃いては積もり、また掃いては積もりを繰り返す「対処療法」に過ぎないのです。 本当に必要なのは「根本治療」なのです。

頭の中にあるゴミを根元から丸ごと捨てる事さえ出来れば、歯磨きのような「強制的なヤル気スイッチ」は必要なくなります。

感情的な人の脳はゴリラと同レベル

  1. ・ソリの合わない同僚から嫌味を言われて気分が萎える
  2. ・駅を乗り過ごしてしまい焦る
  3. ・目的地までの道順が分からずオロオロする
  4. ・切羽詰まってる状況でノンキな話題を振られイライラする

上記のような経験はないでしょうか。人間は感情による強い支配を受けています。 不都合な事があると怒り、理不尽な事があるとショックを受け、思考と行動が感情に左右されます。

「感情的になっちゃダメだ。冷静にならないといけない」と思っても、 多くの人は感情の起伏による思考と行動の乱れを完全にコントロールする事が出来ていません。

感情の支配を受ける理由は何か?それは脳の進化の歴史が関係しています。 感情をつかさどっているのは脳の扁桃体(へんとうたい)と呼ばれる部分です。

扁桃体は言うなれば古い脳です。偏桃体は生命を維持していくために必要な感情をつかさどっています。 本能的な恐怖や嫌悪、悲しみなどがそれにあたります。

そしてもう1つ、論理的な思考や理性をつかさどるのは前頭前野(ぜんとうぜんや)と呼ばれる部分があります。 こちらは偏桃体の古い脳よりも後にできた比較的新しい脳にあたります。

感情に支配されて生きている人は新しい脳(前頭前野)よりも古い脳(偏桃体)に支配されている訳です。 より原始的と言えます。進化の度合いでいうとゴリラやサルに近い、と言う事になります。

感情にひたるな

  1. ・ソリの合わない同僚から嫌味を言われて気分が萎える
  2. ・駅を乗り過ごしてしまい焦る
  3. ・目的地までの道順が分からずオロオロする
  4. ・切羽詰まってる状況でノンキな話題を振られイライラする

先ほども紹介しましたが、上記のような感情はすべて単なる生理反応です。 例えば「汗をかいた」というような生理反応に悩む人はいないでしょう。

それなのにイライラや焦り、怒りや悲しみという生理反応には簡単に振り回され悩んでしまう。 そして、このような感情に振り回されてしまっている人を「抽象度が低い」と言います。

抽象度が低いと感情に支配される

「抽象度が低い」についてもう少し深掘りしてみます。 少し難しい説明になりますのでシッカリと読み進めて頂けますと幸いです。

世の中の物事(万物)は情報量の多寡で階層化できます。 例えば、個人である山田さん→人類→哺乳類→動物→生物、といった具合です。

この時、情報量が多い状態を「抽象度が低い」と言います。逆に情報量が少ない状態を「抽象度が高い」と言います。 情報量が少ない(=抽象度が高い)とは、ある物事を、より少ない情報量で表しているという事です。

例えば「人類」と「山田さん」を比べた場合、山田さんは「25歳で」「A社で営業の仕事をしていて」「目の下にホクロがあって」というように、 「人類」よりも細かい情報量が増えます。

したがって「人類」と「山田さん」の間では「人類」の方が「山田さん」よりも抽象度が高いという事が言えます。 では話を戻して、抽象度が低いと感情に支配されるのは何故でしょうか。

抽象度が低い人は視野が狭いのです。例えば今この瞬間の「イライラしている自分」しか見えていないのです。 イライラするような事があると、感情に頭の先まで浸かってしまいます。つまり、感情に支配されてしまうのと同義です。

反対に、抽象度を高くしていってみます。「イライラしている自分」→「俺が感情的になると部下の教育に悪い」→「この部門には俺より頑張っている人がいる」→ 「会社の経営状況が悪いからみんなイライラしがちだから俺がムードーメーカーにならなきゃ」

こういった具合に、抽象度をどんどん高くしていけば感情から受ける影響を抑えられるようになります。 自分を客観視し、視野を広げていく(=抽象度を高くする)と、感情というゴミに埋もれずに済みます。

多くの人は抽象度の低い状態で生きている

多くの人は生体反応にすぎないはずの感情に振り回されています。 だからこそ、私たちは感情に振り回されるというゴミを最初に捨てなければならないのです。

抽象度を高くしていく事で、感情の支配から抜け出す事が出来ます。 要するに前頭前野(新しい脳)の働きによって偏桃体(古い脳)に介入していくのです。

ゴール(目標)を設定する

ゴールを設定すると、それに合わせて抽象度を上げる事ができます。 そうすれば、そのゴールの実現にマイナスな感情に振り回される事はありません。

自分が本当に重要だと思えるゴールを意識し、そのゴールに向かって進もうとすれば、 それだけでも頭の中のゴミはかなり減少します。

ゴールを意識して生きているのか。ゴールの為に行動しているのか。まずはそれを自問して下さい。 ゴールに関係のない感情はすべてゴミと言えます。

ゴールの実現に向けて価値のある事に遭遇した時、「嬉しさ」「楽しさ」「幸せ」を感じるでしょう。 その感情は存分に味わって下さい。ただし、そこで立ち止まってはいけません。

優れた経営者や科学者など、抽象度の高い素晴らしい仕事をしている人たちが目指しているのは常にゴールです。 ゴールに伴う副産物として、プラスの感情を感じ、それをさらなる前進のモチベーションとしているのです。

AとB、どちらを選ぶか、どちらに進むかを決める時、 多くの人は「こっちが楽しそうだから」「こっちがラクそうだから」という基準で判断します。

しかしゴールを明確に持っている人はAとBのどちらがゴールに意味があるのか、 どちらの方がゴールに近づけるかを合理的に判断するのです。

すべての感情を娯楽にしよう

「腹がたつ」「悔しい」「悲しい」などの感情が生じる事を止める事は、よほど心の修練を積んだ人を除いては不可能です。 「腹が立っても、立たないと思え」という事にはまったく意味がありません。

人間はいろんな感情が生じるのが自然です。では感情に振り回されるというゴミを捨てるコツをご紹介します。 それは、すべての感情を「娯楽」として接する事です。

現代の日本で暮らす私たちは、原始時代とは違い、凶暴な肉食動物に襲われたり、飢餓の心配もありません。 生命の危険を感じる機会は滅多に起こらないのです。

原始時代のような、生命の危険にさらされている環境であれば、「危険だ!」「怖い!」といった感情は生命維持の為に重要なものでした。 しかし現代の私たちの感情の動きは、生命の維持とは何も関係ありません。

「生命を維持する」という点において、もはや感情は必要ないのです。 必要ではないけど、あっても良いものを我々は「娯楽」と呼んでいます。

現代の私たちにとって、感情は娯楽といっても良いのです。 私たちは感情の動きを日々娯楽として楽しんでいます。

面白い本を読んで「楽しい」と感じるのも娯楽、悲しい映画を観て「泣く」のも娯楽です。 ところが、実生活で悲しい出来事があると、私たちは娯楽に出来ないのです。

「腹が立つ」「嫉妬する」「後悔する」などの感情は生きる上でマイナスにこそなれ、プラスにはならないのです。 すべての感情を否定している訳ではありません。「振り回されても意味のない感情に振り回されるな」という事が言いたいのです。

「悲しさ」「寂しさ」などの様々な感情を知る事は人間としてとても重要です。 しかし、それらの感情にいちいち振り回される人は、人間として立派な人とは言えません。

その感情に振り回されることなく、「悲しさも寂しさも人生の味わいのうち」と、娯楽として味わえば良いのです。 感情を娯楽として味わうという時点で、すでに抽象度が上がっているのです。

「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」の書評と感想

本の序盤の部分を私なりに咀嚼し、なるべく簡単な言葉に置き換えて説明してきましたが如何でしょうか。 なんとなく理解できましたかね?

この本では「他人の物差しを捨てる」「マイナスの自己イメージを捨てる」「我慢を捨てる」などの章に続いていきます。 先が気になる方は是非書店にて実際に手に取ってみて下さい。

「抽象度が、高い / 低い」といった発想は他の書籍では語られていない部分だったと思います。 「頭の中のゴミ(邪念)」をスッキリ捨てる為に抽象度を上げていくという方法は斬新ではありました。

また、ゴール(目的)とは関係のない感情はすべて「娯楽」として受け止めるという理論も衝撃を受けました。 理論としては、理解できたような気がしますが、実際にそれをコントロールできるかどうかはまた別のお話ですね。

「頭ではわかっているけど、ついて行けない」という感じです。この辺りはコントロールする為には修練が必要ですね。 それではまた次回の書籍レビューでお会いしましょう。 最後までご覧いただきまして誠にありがとうございました。